Amami

シマ・唄・海・山


---------
======

Under Construction as of 06/11/19
  Day 1: Amami Airport - Koniya
 

2006年11月4日(土)。8:45羽田発のJAL便で奄美へ。空港で、藤岡弘と見かける。待合室にシスター。行き先はカソリック文化圏?久々に間近に見るシスターに、ちょっと緊張。(ミッションスクールで叩き込まれた条件反射か)。
乗り込んだのはDM81。到着11時15分。あいにくどんより曇った空。突如思い立って奄美へ。なので、天気はいまいちでもあまり文句もいえまい。
レンタカーの手続きをして、一路58号を南下。まずは、イントロダクションということで、車で10分の奄美パークへ。田中一村の美術館もここ。意外に目に留まったのは、千葉時代の最後に描いたという杉並木。墨だけの絵だった。棕櫚

奄美パークの展示で、シマの文化の基本情報をゲット。
ユリムン(漂着物のこと)
 

田中一村の家。まわりを鳥や蝶が舞う。画材がそのまま身近にある幸せ。白でオレンジの縁取りの蝶が美しい。あと黒い蜻蛉みたいなやつ。

名瀬をやり過ごして、瀬戸内町の古仁屋(こにや)を目指す。山がち。最近できたと思われるトンネルが多い。トンネルのおかげでずいぶん便利にはなったことだろうが、相変わらず道は曲がりくねり、山の松が間近に迫る。
途中、たこ焼き屋の看板。関西方面に就職した人が多いのか。

途中、マングローブのところで、カヌーに乗ろうか思案したが、4時から乗ると、5時。それから40分くらいの目的地までに明るいうちにつける可能性が。
山道で運転がしづらいこともあり、あきらめて、そのままドライブスルー。

サンフラワーホテルにチェックイン。しばし町の中を散策後、シマユムタ・島唄の会へ。

  Simamuyuta , Shimauta シマユムタ・島唄
 

会場は古仁屋小学校の体育館。当日1200円。350名以上が集まっていた。

島口(方言)。シマによって、ぜんぜん違う。自分のことも、「わ」、「われ」、「わん」などあるみたい。。。(すでに忘れた。)。
シマユムタ伝える会が作成したという一覧表みたいなものが手元に手渡されていたので、抜書きすると、 蝶は「ハベラ」、ねばねばは「ムッチャムッチャ」、ヨリヨリアッキはゆっくり歩け。憎むことは、ハゴハゴ。ヤナグチは悪い言葉で怒ること。ユイワクが結い作業。などなど。

最後は六調で〆。

島唄:長朝花節などの唄もさながら、シマユムタ諸鈍(しょどん)からきた小中学生の語り口も面白く。

新民謡というのは、奄美のことを歌った新しい歌とのこと。いわゆる日本の民謡+演歌ぽい。

南海日日新聞の記事:http://www.nankainn.com/kiji/back06-1104-1110.htm

口承文化。豊かな語り口。

  Day 2: 海に、月に
 

2日目。燕が空を飛び交う。朝コンビニでパンを買って、まずは、大島海峡を見下ろすべく、高知山の展望台へ。
 シマが浮かんで見える。パトモスを思い出す。 芙蓉の花が咲くと、秋。

 

 

下に下りてきて、少し近隣のシマを巡る。 
各シマは、山から海に抜ける道があり、途中に中心となる広場があって、ガジュマルの木と、土俵、そして鐘がある。土俵はブルーシートで覆われ、古タイヤで押さえられている。

蝶  ゆったりした、しっかりした時間。豊かさとはなにかと思う。

 

古仁屋でランチの唐揚げを買い、端っこを目指す。ホノホシ海岸。

午後1時。本日宿泊予定のリゾートホテルに到着。そして、Sea Cayak初挑戦!
ガイドと私だけだったので、ガイド私物のカヤック2人乗りでいつもより遠出して嘉鉄沖まで連れて行ってもらう。大潮なので潮が早い。幸い上げ潮。外海に流される心配はないとのこと。水温26度。現地ガイドが寒い寒いという中、ウェットを借りてシュノーケリングを楽しむ。ダツや小魚。トロピカルな海の中。サンゴはだいぶ死滅していて痛々しい。
 帰り、カメがぜったいいるからと、カヤックの上から必死に探す。そしてカメ発見!10分置きくらいに、顔だけ水面にだして、呼吸するのだという。ぽこっとでるあたりが可愛らしい。 結局4時間以上
ホテルに戻ってシャワーを浴び、ヤドリ浜へ。夕日を眺めに数組の客が浜にでて、思い思いにすごしている。だいぶ暗くなるまで浜にすわっていると、目の前をカメがこっちを覗いていった。
スナガニ、ヤドカリの空き家数軒

Puesto del sol

 この日は大潮。そして満月

 ホテルの五右衛門風呂に入る。五右衛門風呂といっても、下から焚くのではなく、お湯を注ぐだけ。

窓を開けて寝る。波の音と満月の明かり。

  Day 3: シマ:海と山の精霊
 

朝早起きして、浜の散歩。貝や種などを拾う。
 

海上タクシーで加計呂間島、生間(いけんま)へ。タクシー代2500円。
  生間から、古仁屋方面を見る。

船タクシーの伯父さんが、いろいろアドバイスしてくれる。昼のフェリーまで2時間しかないから、諸鈍まで歩くか、レンタカーを借りていくかしかない。ということで、レンタカー屋へ。よくしゃべるおばちゃんで、世話好きなのはわかるけれど、おばちゃん、私は時間がないの。とレンタカー借りて徳浜へ。ドライブ時間は20分ほど。しかし道が尋常じゃなく山道。途中崩れていたり。

 徳浜。塩工場のおじさんと話す。役所を辞めて、徳浜へ。塩作りの奥深さなど。寝ずの晩で3日3晩火を焚き続けるのだという。
奥さんが、夢遊病のようにゆらゆらと火のそばにゆき、マキをくべてゆく。白いプラスチックの椅子に、くたーと座る。皮をむきかけの青いパパイヤ。倦怠と火の精の仕事場。

塩工場を辞して、浜を散策。していたら、塩工場のおじさんがわざわざ浜まで降りてきてくれて、左側の岩がライオンのように見えるから、と教えてくれる。頭上を飛行機雲。ちょうどこのあたりで、飛行機が行き違うらしい。

帰ろうと思ったら、レンタカーのエンジンがかからない。うーんどうしたんだ!と思ったら、古仁屋に置きっぱなしのほうのレンタカーの鍵を一生懸命、鍵穴にさしていた。フェリーの時間を気にして焦ったせいか。あとから思えば、このあたりから、車に関しての雲行きが怪しくなったような。

生間へのフェリーは1日3本。お年寄りたちは、荷物をもってバスへ。
  生間の入り口の松。
 フェリーで対岸まで20分ほど。フェリーの中で、加計呂間出身のおじさんと出会い、古仁屋でちゃんぽんを奢ってもらう。ちゃんぽん山盛り420円。安い、旨い、ご馳走様でした!

 

フェリー乗り場に戻って、塩を買う(塩工場にもうストックがなかったので)。でも違う工場の塩だったかも。
で、古仁屋のトンネルを抜けたところで、スピード違反で切符を切られる。40km制限のところを60kmで通過。パトカーに捕まる。ゴールド免許だったのに、2点減点。1万5千円の罰金。アッチャー。その後、いっきに安全運転モードに切り替わる。どうしてももう一箇所要っておきたいところがある。とメインの58号をはずれて、わき道へ。最初はルンルン。すぐに、メインルートが遮断されている。がけ崩れで通行止め。養豚場というか牛小屋の敷地を通っていく、細い山道を通れ、との指示。さらによくよむと、昼のxx時は、バスが通るから、この道には入るな、とかかれている。ということは、すれ違いもできないほど細いのね。

 

嘉徳

元小学校が画家のアトリエ・展示室に。下関から移り住んできたという画家 堀晃さんの作品を見たあと、お茶とお菓子を戴く。絵はどれも静謐な感じなのだけれど、奄美の山や森、海を見た後だと、絵という2次元の空間に切り取ったものが、なんだか物足りない感じがした。

帰り道、ルリカケスに遭遇する。奄美の森が、より深く迫る。山に感謝して、メイン道路に戻る。

瀬戸内町の峠。遠景は加計呂間。たしかに瀬戸内のような景色。

 

あとはひたすら空港に向かって走る。意外と時間がかかって、フライトの時間が迫っている。途中で夕飯を食べるのをあきらめてそのままドライブ。
 空港手前でみごとな夕焼け。秋のうろこ雲。
この夕焼けの写真をとったあと、車に乗り込んで、車道にでるところで、ニアミス。うーん、今日の運転は荒いのか、ミス2回目。

さらに、レンタカーの中に小型デジカメを置き忘れる。 カメラがないことに気づいたのは、空港内で、最後にようやく鶏飯にありついた後のこと。でも、どこかに置き忘れたのか、チェックインしたバックのなかなのか思い出せない。ボケボケ。もう一台のカメラでとった写真があるからいいやと、あきらめモードで帰宅する。結局、翌日、レンタカー屋に電話して、忘れ物になっていたことを確認。後日返送してもらう。いってみれば、車に関しては、3つ目の出来事。どうも憑いていない奄美の車。

思い返せば、徳浜にいったあたりから、なにかがまわりに漂っている気配がありつづけている。ようやく気配が去ったのは、家に戻って2,3日経ってから。徳浜で撮った筈の写真、す数枚が、真っ白のままになっていた。デジカメの操作を間違えたのか、なにかが映りたくなかったのかは定かではない。

   
   濃厚ポリッジのような、米と芋から作ったドリンク。これで後半2日間を過ごす。

  Links
 


home

Copyright © 2006 oyoyo! All Rights Reserved